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by azamashinya2005
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日本の原子力発電所における秘密【原発奴隷】

↓も「小橋川大介」君の記事です。

その他、彼はとても分かりやすく色んな情報を提供してくれてますので読んでみて下さい。

小橋川大介ブログ



僕は20歳をまたいで計5年ほど東京に住んでいました。

どこの原発にだったかは忘れましたが、

原発に3ヶ月間働きに行っていたという友達がいました。

原発に興味があった僕はその友達に色々質問をしては内部のことを聞いていたのですが、

当時は何とも思わなかったある“コト”を思い出したので、

調べてみたらスペインの全国紙にこんな掲載がありました。

僕が聞いていたある“コト”とは、





「日本の企業は原発の清掃のためにホームレスを募っている」





ということです。



ここからはそのスペインの新聞記事(原発に反対する大阪の会「美浜の会」が訳)をご覧頂きます。

「美浜の会」さんの訳を、

僕がさらに分かりやすくまとめたので、

原発のことを全く知らなくても読みやすいと思います。

読みやすいですが結構長いので、

時間にゆとりがある時にじっくりとご覧下さい。

なるべく多くの人に読んで欲しいです。






【スペインの全国紙エル・ムンドの2003年6月8日にこんな記事がありました】



日本の企業は、原子力発電所の清掃のために生活困窮者を募っている。

多くが癌で亡くなっている。

本紙は、

このとんでもないスキャンダルの主人公達から話を聞いた。

DAVID JIMENEZ(東京特派員)


 


福島第一原発には常に、

もう失うものを何も持たない者達のための仕事がある。



松下さんが東京の公園で住居としていた4つのダンボールの間で眠っていた時、

2人の男が彼に近付きその仕事の話を持ちかけた。

特別な能力は何も必要なく、

給与は工場労働者の仕事の倍額が支払われ、

48時間で戻って来られる。



2日後、

松下さんと他10名のホームレスは、

首都から北へ200kmに位置する発電所に運ばれ清掃人として登録された。

「何の清掃人だ?」

誰かが尋ねた。

監督が特別な服を配り、

円筒状の巨大な鉄の部屋に彼らを連れて行った。

30度から50度の間で変化する内部の温度と湿気のせいで、

労働者達は3分ごとに外へ息をしに出なければならなかった。

放射線測定器は最大値を遥かに超えていたため、

故障しているに違いないと彼らは考えた。

1人、また1人と、

男達は顔を覆っていたマスクを外した。

「眼鏡のガラスが曇って視界が悪かったんだ。

時間内に仕事を終えないと支払いはされないことになっていた。」

53歳の松下さんは回想する。

「仲間の1人が近付いてきて言ったんだ。俺達は原子炉の中にいるって。」



この福島原発訪問の3年後、

東京の新宿公園のホームレス達に対して、

黄ばんだ張り紙が、

原子力発電所に行かないようにと警告を発している。



“仕事を受けるな。殺されるぞ”



彼らの多くにとってはこの警告は遅すぎる。

日本の原子力発電所における最も危険な仕事のために、

下請け労働者、ホームレス、非行少年、放浪者や貧困者を募ることは、

30年以上もの間、習慣的に行われてきた(僕の友達は俗に言う非行少年)。

そして今日も続いている。



慶応大学の物理学教授、藤田祐幸氏の調査によると、

この間、700人から1000人の下請け労働者が亡くなり、

さらに何千人もが癌にかかっている。





『完全な秘密』

原発奴隷は日本で最もよく守られている秘密の1つである。

いくつかの国内最大企業と、恐るべきマフィア、

やくざが拘わる慣行について知る人はほとんどいない。

やくざは電力会社のために労働者を探し、

選抜し、契約することを請負っている。



「やくざが原発親方となるケースが相当数あります。

日当は約3万円が相場なのに、彼等がそのうちの2万円をピンハネしている。

労働者は危険作業とピンハネの二重の差別に泣いている。」



と写真家の樋口健二氏は説明する。

彼は30年間、日本の下請け労働者を調査し写真で記録している。



樋口氏と藤田教授は、

下請け労働者が常に出入りする場所を何度も訪れて回り、

彼らに危険を警告し、

彼らの問題を裁判所に持ち込むよう促している。

樋口氏はカメラによって、

藤田氏は放射能研究によって、

日本政府、エネルギーの多国籍企業、そして、人材募集網に挑んでいる。

2人の意図は、

70年代から原発が操業のために、

生活困窮者との契約に完全に依存するに至るまで拡大した悪習に、

ブレーキを掛けることである。



「日本は近代化の進んだ日の昇る場所です。

しかしこの人々にとっては地獄であるということも世界は知るべきなのです。」

と樋口氏 は語る。



日本は第二次世界大戦後の廃墟の中から、

世界で最も発達した先進技術社会へと移るにあたって、

20世紀で最も目覚しい変革を遂げた。

その変化はかなりの電力需要をもたらし、

日本の国を世界有数の原子力エネルギー依存国に変えた。



常に7万人以上が、

全国9電力の発電所と52(2003年当時の数だと思う)の原子炉で働いている。

発電所は技術職には自社の従業員を雇用しているが、

従業員の90%以上が、

社会で最も恵まれない層に属する、

一時雇用で知識を持たない労働者である。

下請け労働者は、

最も危険な仕事のために別に分けられる。

原子炉の清掃から、

漏出が起きた時の汚染の除去、

つまり技術者が決して近付かない、

そこでの修理の仕事まで。



嶋橋伸之さんは、

1994年に亡くなるまでの8年近くの間、

そのような仕事に使われていた。

この若者は横須賀の生まれで、

高校を卒業して静岡浜岡原発での仕事を持ちかけられた。



「何年もの間、私には何も見えておらず、

自分の息子がどこで働いているのか知りませんでした。

今、あの子の死は殺人であると分かっています。」

彼の母、美智子さんはそう嘆く。



嶋橋夫妻は、

伸之さんを消耗させ、

2年の間、

病床で衰弱させ耐え難い痛みの中で命を終えさせた、

その血液と骨の癌の責任を、

発電所に負わせるための労災認定の闘いに勝った、

最初の家族である。

彼は29歳で亡くなった。



原子力産業における初期の悪習の発覚後も、

貧困者の募集が止むことはなかった。

誰の代行か分からない男達が頻繁に、

東京、横浜などの都市を巡っては働き口を提供して回る。

そこに潜む危険を隠しホームレス達を騙している。

発電所は少なくとも毎年5000人の一時雇用労働者を必要としており、

藤田教授は少なくともその半分は下請け労働者であると考える。



最近まで日本の街では生活困窮者は珍しかった。

今日、彼らを見かけないことはほとんどない。

原発は余剰労働力を当てにしている。

日本は12年間経済不況の中にあり、

何千人もの給与所得者を路上に送り出し、

1人あたりの所得において、

世界3大富裕国の1つに位置付けたその経済的奇跡のモデルを疑わしいものにしている。

多くの失業者が家族を養えない屈辱に耐え兼ねて、

毎年自ら命を絶つ3万人の一員となる。

そうでない者はホームレスとなり、

公園をさまよい、

自分を捨てた社会の輪との接触を失う。





『原発ジプシー』

原発で働くことを受け入れた労働者達は、

原発ジプシーとして知られるようになる。

その原発ジプシーという名は原発から原発へと、

病気になるまで、

さらにひどい場合は見捨てられて死ぬまで、

仕事を求めて回る放浪生活を指している。



「貧困者の契約は政府の黙認があるからこそ可能になります」



人権に関する海外の賞の受賞者である樋口健二氏は嘆く。



日本の当局は、

1人の人間が1年に受けることが可能である放射線の量を50mSvと定めている。

大部分の国が定めている5年間で100 mSvの値を大きく超えている。

理論上、

原子力発電所を運営する会社は、

最大値の放射線を浴びるまでホームレスを雇用し、

その後“彼らの健康のために”解雇し、

再び彼らを路上へ送り出す。

現実はその同じ労働者が数日後、

もしくは数ヵ月後、

偽名で再び契約されている。

そういう訳で約10年間、

雇用者の多くが許容値の何百倍もの放射線にさらされている説明がつくのである。



長尾光明さんは、

雇用先での仕事の際に撮られた写真をまだ持っている。

日本の原子力発電所における秘密【原発奴隷】_f0009821_11492647.jpg






写真では彼は常に着用するわけではなかった防護服を着ている。

病気になる前、

5年間働いた東電・福島第一原発で、

汚染除去の作業を始める数分前に撮った写真である。

78歳、

原発ジプシーの間で最も多い病気である骨の癌の克服に励んで5年を経た今、

長尾さんは原発を運営する会社と日本政府を訴えることに決めた。

興味深いことに彼は、

契約されたホームレスの1人ではなく、

監督として彼らを指揮する立場にあった。

「大企業が関わる仕事では何も悪い事態が起こるはずはないと考えられてきました。

しかしこれらの企業がその威信を利用し、

人々を騙し、人が毒される危険な仕事に人々を募っているのです。」

と長尾さんは痛烈に批判する。

彼は許容値を超える大量の放射線にさらされてきたため歩行が困難となっている。



30年以上の間、

樋口健二氏は、何十人もの原発の犠牲者の話を聞き、

彼らの病を記録してきた。

彼らの多くが瀕死の状態で、

死ぬ前に病床で衰弱していく様子を見てきた。

おそらくそれ故、

不幸な人々の苦しみを間近で見てきたが故に、

調査員となった写真家は、

間接的にホームレスと契約している多国籍企業の名を挙げることに労を感じないのだ。

東京の自宅の事務所に座り紙を取り出し書き始める。



「パナソニック、日立、東芝……」





『広島と長崎』

企業は他の業者を通してホームレスと下請け契約をする。

労働者の生まれや健康状態などを追跡する義務を、

企業が負わずに済むシステムの中でそれは行われている。

日本で起こっている事態の最大の矛盾は、

原子力を誤って用いた結果について世界中で最も良く知っている社会の中で、

ほとんど何の抗議も受けずにこの悪習が生じているということである。



1945年8月6日、

アメリカ合衆国は、

その時まで無名であった広島市に原子爆弾を投下し、

一瞬にして5万人の命が失なわれた。

さらに15万人が翌5年間に放射線が原因で亡くなった。

数日後、長崎への第2の爆弾投下により、

ヒロシマが繰り返された。



あの原子爆弾の影響と、

原発の下請け労働者が浴びた放射線に基づいて、

ある研究が明らかにした所によると、

日本の原発に雇用された路上の労働者1万人につき17人は、

“100%”癌で亡くなる可能性がある。

さらに多くが同じ運命をたどる“可能性が大いにあり”、

さらに数百人が癌にかかる可能性が ある。

70年代以来、

30万人以上の一時雇用労働者が日本の原発に募られてきたことを考えると、

藤田教授と樋口氏は同じ質問をせざるをえない。



「何人の犠牲者がこの間亡くなっただろうか。

どれだけの人が抗議も出来ずに死に瀕しているだろうか。

裕福な日本社会が消費するエネルギーが、

貧困者の犠牲に依存しているということが、

いつまで許されるのだろうか。」



政府と企業は誰も原発で働くことを義務付けてはおらず、

またどの雇用者も好きな時に立ち去ることができる、

と確認することで、

自己弁護をする。

日本の労働省の広報官はついに次のように言った。



「人々を放射線にさらす仕事があるが、電力供給を維持するには必要な仕事である。」



ホームレスは間違いなくそのような仕事に就く覚悟が出来ている。

原子炉の掃除や放射能漏れが起こった地域の汚染除去の仕事をすれば、

1日で建築作業の日当の倍が支払われる。

いずれにせよ、

建築作業には彼らの働き口は滅多に無い。

大部分が新しい職のおかげで社会に復帰し、

さらには家族の元に帰ることを夢見る。

一旦原発に入るとすぐ、

数日後には使い捨てられる運命にあることに気付くのである。



多くの犠牲者の証言によると、

通常、危険地帯には放射線測定器を持って近付くが、

測定器は常に監督によって操作されている。

時には大量の放射線を浴びたことを知られ、

他の労働者に替えられることを怖れて、

ホームレス自身がその状況を隠すことがあっても不思議ではない。



「放射線量が高くても、働けなくなることを怖れて、誰も口を開かないよ。」



斉藤さんはそう話す。

彼は、

「原発で色んな仕事」

をしたことを認める、

東京、上野公園のホームレスの1人である。

日本の原子力発電所における秘密【原発奴隷】_f0009821_11504786.jpg








原発で働く訓練と知識が欠如しているため頻繁に事故が起きる。

そのような事故は従業員が適切な指導を受けていれば防げたであろう。



「誰も気にしていな いようです。

彼らが選ばれたのは、

もしある日仕事から戻らなくても、

彼らのことを尋ねる人など誰もいないからなのです。」

と樋口氏は言う。



一時雇用者が 原発の医療施設や近くの病院に病気を相談すれば、

医者は組織的に患者が浴びた放射線量を隠し、

“適性”の保証付きで患者を再び仕事に送り出す。

絶望したホームレス達は、

昼はある原発で、

夜は別の原発で働くようになる。



この2年間、

ほとんど常に藤田、樋口両氏のおかげで、

病人の中には説明を求め始めた者達もいる。

それは抗議ではないが多くの者にとっての選択肢である。

村居国雄さんと梅田隆介さん、

何度も契約した末、

重病にかかった2人の原発奴隷は、

雇用補助の会社を経営するヤクザのグループから、

おそらく「殺す」と脅されたために、

それぞれの訴訟を取り下げざるを得なかった。





『毎日の輸血』

大内久さんは、

1999年、日本に警告を放った放射線漏れが起きた時、

東海村原発の燃料処理施設にいた3人の労働者の1人である。

その従業員は、

許容値の1万7000倍の放射線を浴びた。

毎日輸血をし、皮膚移植を行ったが、

83日後に病院で亡くなった。



労働省は、

国内全ての施設について大規模な調査を行ったが、

原発の責任者はその24時間前に警告を受けており、

多くの施設は不正を隠すことが可能であった。

そうであっても国内17の原発のうち、

検査を通ったのはたったの2つであった。

残りについては最大25の違反が検出された。

その中には労働者の知識不足、

従業員を放射線にさらすことについての管理体制の欠如、

法定最低限の医師による検査の不履行、等も含まれた。

その時からもホームレスの募集は続いている。



松下さんと他10名のホームレスが連れて行かれた福島原発は、

路上の労働者と契約する組織的方法について何度も告発されている。



慶応大学の藤田祐幸教授は、

1999年、原発の責任者が、

原子炉の1つを覆っていたシュラウド(炉心を囲む構造物)を交換するために、

1000人を募集したことを確認している。



福島原発での経験から3年後、

松下さんはさらに2、3の仕事を受けたことを認めている。

その代わり彼に残っていた唯一のものを失った。



健康である。



2、3ヶ月前から髪が抜け始めた。

それから吐き気、

それから退廃的な病気の兆候が現れ始めた。

「ゆっくりした死が待っているそうだ。」

と彼は言う。






【この新聞はインタビューを受けられた樋口健二氏より提供された。

記事の訳内容の一部は、樋口氏によって訂正されている。

尚、原文では、写真は全てカラーで掲載】



訳責:美浜の会






20歳そこそこの僕はこの問題を聞いていながら、

正直言って自分のことで精一杯な毎日だったので、

あまり気に止めてなかった気がする。

ふと原発で働いてたと言っていた友達を思い出したのも、

何かの知らせなのだろうか。

そのYという友達は、

もう連絡先も分からないから一生会うことは無いかもしれない。

原発には3カ月しか働いてなかったから無事なのだろうが、

ちょっと心配だ。



こういう事実は皆の心に刻んでいて欲しい。
by azamashinya2005 | 2011-03-31 11:57